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サディストとマゾヒストの同居生活
《2005-10-14 | 文学的雪かき


(村上龍 著『イビサ』 より)

そうだ、まず死滅させなくてはならないのは誰の中にもあるマゾヒズムなのだ、マゾヒステリックな魚達は決して陸に上がろうとは思わなかったに違いない、どんな生物であれDNAや発生物質の中にマゾヒズムはない、被虐願望はルールの中に生まれる、自分の中にではなく世間に存在する、わたしはサディストにならなくてはならないのかも知れない、(略)

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 ↑を踏まえた上で、↓も読んで下さい。

◆世界は、「マゾヒスト」のためにある!>活字中毒R。

 人間の本質はサドなのかマゾなのかについて考えることは、性善説が正しいのか性悪説が正しいのかを語るくらいかみ合わないことのように思える。いくら話し合ったところで、永遠に結論は出ないだろう。コインの裏表というより、紙幣の裏表のような関係だと思うんだよね。

 被虐願望というか征服欲は進化のうえで絶対に必要なサド的本能だと思うが、同時に、つらい労働が快楽に変わるというマゾ的な思考だって不可欠だろう。そして、意識せずとも、誰もが、自分の中のサドとマゾを使い分けて日々成長しているはずだ。

 磁石はどこで切断しても必ずS極とN極が存在し続けるように、人間も見る角度さえ変えてやれば、サドとマゾの気質があり、善と悪が見え隠れしているはず。そして、それらがバランスをとって(もちろんその配分は人それぞれかもしれないが)生活しているのだろう。だから、ポジティブな気分のときもあれば、ネガティブな考え方しかできないときもある。“明”と“暗”だとか、“静”と“動”だとか、そういうものも相反するものではなく、表裏一体となっていて、どちらの面が出るかはそのときどきの風向き次第といったところなんだろう。人間の本質なんて、白でも黒でもグレイでもなく、“白と黒”が別々に、しかし同時に存在しているものだと思う。

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