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《2005-04-26 | 脱力系時事通信 》
◆尼崎脱線事故:ねじ曲がった1両目から女性救出>MSN-Mainichi INTERACTIVE きのうから各ニュース番組はほぼフルタイムでこの事故を報道している。1両目はどこにいったかはわからないし、2両目は文字通り“く”の字にへし曲がっていて、3両目は前が後をむいている。 そこで僕は今朝「やっぱり前の車両って危ないのかな。事故ったとき影響受けるのは普通一番前だもんな」などと考えながら、駅のホームにむかった。しかし、同時に「じゃあ、今日は1両目に乗る人って、やっぱ少ないのかな?」という疑問も浮かんできた。きのうの今日の話だからね。 僕は毎朝2度の乗り換え、つまり3つの電車に乗っているのだが、階段の位置や人の混み具合の関係上、一番前の車両に乗ることが多いのだった。もしかしたら今日は1両目に誰もいないかもしれないな、などと思いつついつもの通りの先頭車両に乗り込んだ。 まあ、結果から言えば、僕の予想に反していつもとまったく変わらない混み具合だった。なんだ、と思い、僕は適当な座席を見つけ、そこに座った。 そして、みんなテレビから流れてくるものなんてのは、どれもフィクションとして受け止めているんだろうなと思った。ドラマやなんかで人が死ぬのと、事故で人が死ぬのとはイコールなのだろう。 新潟で地震が起きた、かわいそうだ、募金をしよう、支援物資を送ろう。でもそれは好きなタレントにファンレターを出すのと同じ感覚なのかもしれない。自分の防災用非常食やずきんや懐中電灯を買いに走る人は少ないことを考えると、所詮は他人事として考えている証拠である。 今では、各チャンネルで日本中はもとより世界各国の映像がいつでも見ることができる。どこまでが実写でどこからがCGかわからないような画像やまったくの架空の物語としてのアニメも流れている。テレビを見るという行為自体が、自分が属していないまったく別の世界を見学するということだと、意識下で判断してしまうようになっているのだろう。だからそこに映し出されたものが人の死であっても、どんな残虐なリアルであっても、僕らはハナっから「ふうん」と接触を避けることができるのだ。というより、自分に都合のいい“価値観”のものだけ取り入れて、そうでないものは“ヒトゴト”として無視するようにしている、と言った方が正しいかもしれない。
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